飛騨の匠とはHIDA NO TAKUMI
木製飛行機
終戦末期、飛騨で木製飛行機が作られていた?
太平洋戦争時代に大東亜決戦機といわれたキ84「疾風」を全木製化にした機体をキ106といった。機体の性能・強度を金属製並に保つためには、当時の木工技術の最高水準を結集しなければ実現できないものであった。
「日本航空機総集」によると、全長9.95m、全幅11.24mで「疾風」の同型、同性能を狙って設計された。実戦には間に合わなかったが、飛騨では完成4機と12機分の部品を生産していた。このキ106は戦後米軍に接収され米本土でテスト飛行したところ、高度7200mで時速614キロを出したという記録が残されている。
1943(昭和18)年、戦況が悪化するなかで、あらゆる物資にも困窮を極め、航空機に必要な軽合金にも不足をきたすことが予測され、日本陸軍は現用機、試作機のいかんを問わず、木材での代用を考慮せざるを得なくなった。「大東亜決戦機」として期待された四式戦闘機「疾風」もその対象となり機体構造の大部分を木製化することになり、1942(昭和17)年頃から立川飛行機㈱はその設計に取りかかっていた。
飛騨高山の木製家具メーカーである飛騨木工㈱(現:飛騨産業㈱)は陸軍の特命を受け、立川の飛行機の指導で木製戦闘機(キ106)の機体製作を担当することになった。国内有数の木材加工技術を有する飛騨木工㈱は、その技を駆使し、胴体、主翼骨組などは当時自社で製造していたベニヤ板(合板)製作の技術を基に、檜やブナの単板を積層したものを使用するなど、木製飛行機の実現に挑むことになった。
木製飛行機「キ-106」のモデル・四式戦闘機キ-84・通称「疾風」の機影
撮影場所:鹿児島県南九州市知覧町・知覧特攻平和館