飛騨の匠とはHIDA NO TAKUMI
藤原宗安
佐が坂六角堂の伝説
岐阜県美濃市立花の「鹿苑寺地蔵堂(六角堂)」には鎌倉から室町期に活躍した飛騨の匠、藤原宗安(註1)の物語が残されている。
佐が坂の峠で一休みする宗安は旅の疲れからつい居眠りをしてしまう。その夢枕にさびしそうなお坊様(たいちょうさま)が立った。たいちょうさまは昔この峠にあったが今は朽ち果ててしまった六角堂を再建してほしいと願っている様子で、思いをうけた宗安が一日で六角堂を建ててしまう物語である。
宗安の腕を見込んだ泰澄さん
たいちょうといえば白山信仰の基を開いた泰澄大師のこと。奈良時代、白山山上に三所権現を祀ると美濃側からの参拝路として岐阜県郡上市白鳥町に長滝寺を創建している。その長滝寺は鎌倉期に大火に見舞われるが、1311年に長滝寺大講堂の再建を成し遂げたのが藤原宗安である。物語に登場する六角堂は長滝寺より長良川沿いに数十キロの下流にあり、美濃から郡上をへて白山に参る人や、飛騨へと往来する旅人の小憩の場にもなっていたのだろう。
大講堂再建で見事な腕前を見せた宗安に六角堂も再建させたいと、時を越え現れた泰澄の気持ちが良くわかる。
さらに物語後半には出来上がったばかりのすばらしいお堂に見惚れ、あちこち調べるうちにあやまって中に閉じ込められてしまうが、見事な木彫の技でカラスを彫り、里人を呼び寄せて脱出するもう一人の飛騨の匠、左甚五郎まで登場するのが楽しい。(参考:定本日本の民話18美濃の民話第1集第2集佐が坂の六角堂 ㈱未来社発行)
※(註1) 藤原宗安(ふじわらのむねやす)は、鎌倉末期から室町時代にかけて活躍したと伝えられる伝説の名工。飛騨の大工としては初めて受領名と、職人として最高の飛騨権守(ごんのかみ)の地位を受けた。(ホームページ:日本遺産飛騨匠の技・こころ より)