飛騨の匠とはHIDA NO TAKUMI
高山盆地に古代水田発見!(※講演会資料)
飛騨の匠文化講演会 「高山盆地に古代水田発見!」講演会資料
日時/令和7年10月19日(日)13:30分~
会場/飛騨・世界生活文化センター(ミニシアター)
講師/田中 彰
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1 条里地割(じょうりちわり)
奈良時代の土地制度で、碁盤の目のように土地を分割した。土地の管理や班田収授を円滑に行うための制度。男子:2段、女子:男子の2/3が支給された。
<坪・つぼ >(基本区画)
1町(約109メートル)四方の正方形の基本区画を一つの「坪」とした。
*坪の分け方図 109m四角を坪という。その中の割り方は2種類
<段・たん> (最小単位) 坪の内部は、10等分され、その1つが「段(たん)」と呼ばれる耕作や税の単位となっている。半折型で21.8×54.5m。
<里・り > (大区画)
坪を縦6、横6、計36並べて里とした。6町四方(約654m4四方)の大きな区画である。里は縦に1条~、横に1里と呼んでいる。3条3里と言えば里の位置が特定できる。都城は条坊制となる。
*坪の配置名称図 36の坪を並べて里とした。縦横6町で654m四角。
- ①条里制は平野部に展開したが、地形に制約される地域では区画が途切れたり、整然とした格子状の地割が困難になる地域もあった。
- ②9世紀ごろがピークであった。しかし火山の噴火や大河川流域の洪水などで、地形が激しく変化し、定着せずに消滅してゆく。
- ③現在も条里の地割が残っている地域は安定した地形面にあり、条里地割の骨格が地域の農業経営に適合していたので温存されてきた。
*里と条の配置図 条と里で位置を特定、里が並ぶ。
1条1里、1条2里~、2条1里、2条2里~
2 飛騨匠100人の出役基準
① 飛騨匠の徴発(出役)規定
▸大宝元年(701)の大宝令
「斐陀国条」に相当する規定があったと考えられている。さらに、それ以前の飛鳥浄御原律令(689)でも制度があったとも考えられている。
▸養老2年(718)の養老令(賦役令)に「斐陀国条」がある。
▸平安時代中期頃まで存続した。
▸律令制度下の飛騨国は、中央政府に納める税である租・庸・調のうち、庸・調が全て免除されていた。
▸その代わりに里(郷)ごとに匠丁10人を出役せよという規定である。
▸1里⇒50戸を単位。匠丁4人ごとに廝丁(しちょう)(食事などの世話するもの)1人、任期は1年で、毎年100人前後。その内廝丁は20人とされている。
▸米を持参⇒飛騨工の食べる米を、在飛の次の者・余丁(よちょう)が負担した。
▸負担割合は、中男(17~20歳)、正丁(21~60歳)、次丁(61~65歳)のそれぞれに数量を定める。
② 斐陀国条
凡(およそ)斐陀(ひだの)国(くに)は、庸調(ようちょう)倶(ともに)免(めん)ぜよ、里(さと)毎(ごと)に匠(たくみの)丁(よぼろ)十人を点せよ〈四丁(ちょう)給廝丁(しちょう)一人を給え〉、一年にひとたび替えよ、余丁(よちょう)は米を輸し、匠丁の食に充てよく正丁に六斗、次丁に三斗、中男(ちゅうなん)に一斗五升〉
3 岐阜県本巣市の条里
▸大宝2年(702)、本簀郡(本巣郡)の名があり、奈良時代から水田地帯である。南北に1~19条まであり、東西は10里までの地割がある。
▸10条辺りは現在の本巣市三橋地区で、畑になっていてイチゴハウスもある。現在も条里地割の骨格が残っているのは、安定した地形面にあり、農業経営に適合していた地域であるためであろう。
▸水利は根尾村から採水し(現在)、北から南へと流している。

*写真⇒本巣市の条里
4 滋賀県野洲市の条里
古くから沖積平野の「野洲」と呼ばれてきた地域に条里制の遺構がある。野洲川の氾濫と堆積作用に深く関わっており、条里制の区画が自然地形に沿って形成。弥生の遺蹟が多い。現在の五之里は九条五里が由来。

*写真⇒野洲市の条里
5 高山盆地の条里地割
▸高山盆地に条里推定線を入れたのが「*高山盆地の小字図・付1町方格線図」で、点線に囲われた区域が小字である。
▸「清水下」「せん扁い」の小字域が大きく、昭和23年の航空写真で見ると古代水田の形の残りが良い。次の方位図は奈良時代の遺構の方位で、条里の方向は高山盆地を流れる宮川、苔(すのり)川に沿っている。
*高山盆地の条里地割、国分寺、国分尼寺の方位図

6 条里の中の国分寺と国分尼寺
▸高山盆地の小字図・付1町方格線図中、東側に奈良時代の国分寺、西側に同時代の国分尼寺(辻ヶ森)があった。両寺院南側の門前に道路があり、それは現在の国分寺通りである。
▸条里の中に国分寺と国分尼寺がつくられたと考えられる(国分寺周辺の条里図「塔の下」、国分尼寺周辺の条里図「辻ヶ森」)。
*参考文献、図の引用
『飛騨国分尼寺跡発掘調査報告書』高山市教育委員会発行 平成2年3月
